コーチ山本ができるまで[怒涛の全日本編]

前回のおさらい

集中連載中の「コーチ山本ができるまで」シリーズ。

今回は・・・やっぱりアピールさせていただきましょう!過去の栄光を!!(大笑)

前回のブログでJシリーズへの参戦、そしてエリートクラスへの昇格までを書き綴りましたが、今回は我が人生のピーク(笑)全日本選手権のお話を・・・

エリートに上がったけど・・・

エキスパートクラスでポイントを稼ぎ、どうにかこうにかエリートクラスに昇格できたのが2005年。

MTBレースをはじめた頃から目標にしていた人と同じカテゴリを走る。至福の時。

まぁ・・・見事にトップカテゴリの洗礼を受けました。全く歯が立ちません。
完走なんて夢のまた夢。どんなに頑張っても30位後半に入るのが精いっぱい。

そんな中、僕に強烈に刺激を与えてくれたのがストラーダのアツい面々。

皆に支えられたから、できたこと

共にトレーニングを重ねた戦友たち。彼らのおかげで成長できた。

「これじゃいかん!」とオフシーズンに過激、無茶、無謀、無理とも言えるトレーニングを繰り返しましたが、これにいっつも付き合ってくれたのがこの二人(笑)
ホント、この頃の僕らは誰よりも熱く、濃かったような気がします。

さらにテンチョー井上のメカニックサポートや家族の応援・・・いろんな人からの支えによって「走らさせてもらっている」
そんな感謝の気持ちが自然と出始めた頃、ようやく成績が出始めました。

井上テンチョーのフルサポートで参戦できた。

北京、ロンドンのオリンピック選考レースにも出場でき、10位前半の位置で完走も出来るようになった。

どうしてもやり遂げたいこと

そんな自分が、どうしても獲りたかったレース、それが「全日本選手権 マスタークラス」でした。

少しずつ成長しだした頃

PHOTO BY 信州ふぉとふぉと館

思えば2006年から6年間を掛けた挑戦。
一年を掛けて、このレースにピークを持っていき、全てをぶつける。
言うのは簡単ですが、実際にやってみると肉体的はもちろんですが、精神的に追い込まれた日々を過ごしていました。
今、あの生活をしろって言われたら、絶対にできない自信があります(笑)

家族や仲間と6年掛けて、達成できた全日本。

PHOTO BY 信州ふぉとふぉと館

そして、悲願達成。
それは決して自分の力ではなく、仲間と共に手にした勝利でした。

そしてストラーダへ入社し、一年後。
今まで誰も成し遂げた事の無い連覇を狙い、再度、挑戦しました。

2年連続で全日本を連覇。

今、思うと、たぶん、このレースで「やり切った」んだと思います。

限られた時間でパワートレーニングを行った結果の2連覇でした。

すべて出し切った。悔いはない。

2011年に感じた、筧さん(ゴローさん)との焼け付くような闘い。

自分の生涯の中で、一番熱かった日かもしれません。

PHOTO BY 信州ふぉとふぉと館

極限の中で感じる、限界を超える快感。こんな感覚は簡単に手に入るものではありませんでした。
2回目の優勝の時に感じたのは、そういった意味では虚無感だったのかもしれません。

「これ以上、上には行けない」

プロの凄さ、そしてそれに立ち向かうトップアマチュアレーサー達の凄まじさ。
確かに、ホームとも言えるこのマウンテンバイクレースの世界に身を置いておくのは心地が良く、いつまでも浸っていたい気持ちもありました。
しかし、もっと自分にできる事って無いのだろうか・・・?を考え出し・・・そろそろ「潮時」なのかと感じたレースでもありました。

そして、2014年の最終戦をもって、いったん「区切り」としました。

少しずつ、自分の身体と心にズレを感じてきた頃・・・

2003年から挑戦し、約10年間もの間、大げさでなく人生の大半を費やした「Jシリーズ」

振り返ってみると、我ながら長い間、この世界に没頭したものですね。
ここで出会えた多くのライバル、レース会場でお会いする方々。そして、何よりも大切な仲間。
僕の人生にとって、何事にも代えられない大切な大切な宝が出来ました。

すべて出し切った。悔いはない。

自分にできる事って?

では、そんな「自分にできる事」って何か?

・・・もっと多くの方の「宝」を増やしたい。そんなお手伝いをしたい。だから、今の自分が居るんだと思います。

と、言う事で我が青春のJシリーズ編はここまで!次回は堂々最終回!お楽しみに~(笑)

なんでもお聞きください。

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